私が求めていた暮らしは〝禅〟だった。

先日、母と〝ウチの家系のテーマって何だと思う?〟という話をしていて、私がずーっと〝暮らし〟に感じていた違和感の正体がやっと、分かりました。

私が望んでいる〝暮らし〟って、インテリアがどうとか、何が好きとか、そういう暮らし(語彙力がない!笑)というよりも〝禅〟

何でもない日々の、その一瞬とどう向き合い何を感じるのか。みたいなものでした。

もちろんろん、そういったインテリアやオシャレ、素敵な物に囲まれる暮らしを見るのは好きだし憧れもあるけれど、自分がするとなると…なんかしっくりこないなぁ、とずっと感じていたのです。

私の母の家系はひい婆ちゃんが髪結師で、それから家族のほとんどが理美容師。おじいちゃんもおばあちゃんも母も母の弟妹、そのパートナーも子供も、理美容師。私も数年前までは美容師をしていました。(笑)

私が小学生の頃、祖父母の床屋さんでは土日は23時過ぎまで当たり前にお客さんが途切れませんでした。(時代を感じますねぇ。笑)

母も毎日25時過ぎまで働き、休みの日は講習会やコンテストに出たりと、私が子供の頃はほとんど一緒に生活をしていないような感じ。でも、それが普通で当たり前。でした。

だから、〝暮らしを楽しむ〟とか〝暮らし〟そのものに向き合うという考えすら元々、私にはありませんでした。

というか、〝暮らし〟というものに意識を向けたこともなかったような…

でも、それは戦争を機に根こそぎ〝当たり前の暮らし〟を失った、日本の人々皆がそうだよな…と思っていたのだけど、またそことは違う〝暮らし〟がやっぱあると思う。と、母は言いました。

母が、「あんたがやろうとしている暮らしは〝禅〟的な暮らしだよ。」そう言った時、その一言でもの凄くスッキリしたんです。

〝禅〟と言われた時、禅がどういうものかも、きっとはっきり分かっていないけれど(笑)私が日々既にやっている、取り組んでいることが分かった。というか、しっくりきたのです。

私は何でもない暮らしの中で、見えないものを見ながら感じながら、〝暮らす〟そして〝生きる〟ということを日々淡々と愉しむ(こっちの愉しむ)、味わう。私の〝暮らし〟はここにあった。

それをはっきりと認識したら、なぜ自分がミニマリスト的なのか、二十四節気が好きなのか、家事が好きなのか、ルーティンが好きなのか、何年も〝淡々と〟という言葉を大切にして目標にしていたのか..そんな色んなことに納得がいって〝やっぱり既にやっていた〟んだと感じて、胸が熱くなりました。

そして、これを認識する以前よりもずっと、1つ1つの家事や、暮らしの中のことに気持ちが向き、心が向き、愛しく感じるようになってきました。

とは言え、難しいから〝テーマ〟皆さんご存知のように〝淡々〟とは程遠い私でございます。(笑)

けれど、我が家の家系にはずっとなかったこの、〝暮らし〟と向き合える機会をこうしていただけたのだから、それを望んでいたご先祖さま達の分まで…というか、ご先祖さま達と共に、ここに取り組んでいきたいな。と思う今日、この頃です。

皆さんの〝家系のテーマ〟は一体なんでしょうか?

そんな目線で、自身の家系、ルーツを振り返り見渡してみるともしかしたら、面白い発見がある…かも、しれません。

ではでは、いつもお読み下さりありがとうございます。綿子(iroand/zine)でした。

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